先日、茶農家の方が「能」の鼓と謡いを披露してくれました。
能楽は、奈良時代以前に起源を持ち、寺社、後に武家の支持を得て発展してきました。
能のルーツには2つの系統があって、ひとつは中国から伝来してきた「散楽」、後の「猿楽」として発展したものと、もう一つの系統は、田植えなどのさいに五穀豊穣を祈願して演じられる日本古来の芸能としての「田楽」があります。
猿楽能と田楽能を融合し、芸術性を高めたのが、室町時代の観阿弥です。
当時、奈良(大和)の興福寺や春日神社を本所とする能楽の座が4つありました。これを大和四座といいます。観世元清(観阿弥)が始めた観世座は、観阿弥・世阿弥父子が出て、一世を風靡しました。
謡いは心地良い音感の七五調の節回しと抑揚。呼吸が整えられ、雑念が抑えられて、聴く側も気持ちが安定します。
これが、武士にも愛好されたという能楽のテーマである「無」の境地かもしれません。
岡倉天心の「茶の本」にもありますが、無は無限の無で、あらゆる可能性、あらゆる想像力を誕生させます。必要以上の飾りが「無」い能舞台や、殆ど表情が「無」い能面の意味が理解されるでしょう。そのような精神面に訴求する芸術として今なお新鮮であり、「禅」と同様、むしろ、自分を見失いがちな現代にこそ見直されるべき芸術かもしれません。
奈良の農村では、子供の頃からそのような能楽に親しむ風習が残っています。
農業が単に効率だけを求める産業ではないことを改めて考えさせられます。