「空中大和茶カフェ」は、ビジネスを目的にしていないのが、多くの方から支持されている理由だと考えています。
それでは茶業の活性化につながらないのではと考える人がいるかもしれません。
しかし、「人生をつまらなくするのは簡単だ。結果や報酬を目的として生きればよい。」という先人の言葉のように、目的を取り違えれば途中の過程での“出会い”までもビジネスのためと捉えるようになり、結局は時代が求める「共感」や「共生」の意識は後退してしまうことになります。

本当に「価値」あることとは、人々の心に触れることです。
煎茶が好きで、最高の煎茶を目指して日々切磋琢磨している努力をさらに前進させて、「急須で淹れる煎茶の愉しみ」を現代生活にいかにして再浸透させるかまで腐心することが、この取組みの基軸になっています。
その「生き方」や「姿勢」が共感されているからだと思います。
近年、「自然」への興味の延長で、農業にも関心が高まりつつありますが、「自然」とは何であるかを問うことなしにイメージの中で美しいものとして物語化されているように思います。
また、言葉上の別の意味の「自然」には、「自然とそのようになった」のように「おのずと」という意味もあります。
この場合の「自然」には、私たち自らの意志は関与していません。
イメージだけの自然ではなくて、「自らが然るべき」態度を持ってという主体的かつ合理的な「自然」によって、社会を、地域を、仕事のあり方を考える時が来ているのだと思います。
つまり主体性、自立によって、本当の意味での活性化が実現できると考えています。
その根底には自らのプライドを支える「正しい道」を探求する姿勢が欠かせないと思います。
前向きに真面目に真実や必然性を求める生き方と、商業主義に踊らされながら現代的な虚構社会の中でその気分を演じるような生き方が、今の社会の典型といえる生き方かもしれません。
多くの人が心の底で望んでいる「自分らしく生きる」とは、高村光太郎の詩にある「予約された結果を思ふのは卑しい。正しい原因に生きる事、それのみが浄い。」が分かりやすいと思います。
直接、ビジネスを目的にするのではなくて、社会が最良の煎茶を求めて急須で淹れる生活シーンが普通になる、それこそが、この取組みが目指す「自然」な行動であり、そこが目的だと考えています。